10年ぶりのニューヨークというかアメリカ。
高層ビルに反射するタクシーの音。
24時間どこにいても感じる地下鉄の音や振動。
レストランやカフェで漂う香り。
太いフォントやイタリックなサインやロゴ。
そうそうこの国はこんな感じだったと、色々と思い出した。
記憶をたどれるものが多く、懐かしいというかクラシックな感じさえする。
建築家や教授達は黒いスリムな服を着る。
プレゼンテーションでノンストップに話す学生達。
コンセプトとダイアグラムとボリューム。
10年前(20年前?)に よく聞いたトムとスティーブンの名前も相変わらず。
去年鳴り物入りで完成し、大人気のハイライン。
学生時代にこんなデザインしたよなと、ここでもまた昔のことを思い出したり。
その傍のリノベーションのようなザ・スタンダードホテルには本気で騙された。
懐かしいとか懐かしくないではなくて、これはありなのかな。
チープだからとThe New Museumは嫌われる。
MOMAは中心性がないから解釈しづらいよう。
Yojiの店の通り抜け道にも当然のようにフェンスが設置され、
というか既に引っ越してもぬけの殻だった。
ここでは新しさの定義が違ってしまったよう。
9.11や景気の悪さから保守になってるのかな。
アメリカ人にとっては未来とは建築や都市もしくはデザインを通して語られるものでは既にないのかな。
IPHONEやFACEBOOKに代表される情報系通信系はますます強いのけど。
日本へ向かう機内で寝れなくて映画を4本観る。
最近のアメリカは映画でなくTVドラマの方が気が利いている。
やっぱり大きな夢が描ききれないのかな。
1ヶ月ぶりのジャパン。トーキョーは1年ちょっとぶり。
もう新しくハードをつくることはほとんど不可能だけど、
この10年でアップグレードされたものは多かったよう。
ここでも大きな夢は語れないので、小さなところの改善に向かっていて、
目に見える大きな変化は少なくても、小さな変化がたくさんありそう。
小さいもの普遍的なもの一般的なものへの憧れや嗜好性。
やんわりと覆われてぼやっと見えにくいけど、
その内側に確実に隠された仕掛け側の意図。
見栄もハッタリもはれないし、潔さもないような。
でも滞ったり立ち止まったりは決してしない。
10日ぶりのチャイナ、シャンハイ。
この10年間日々肌で感じる変化。
ハードウエアに対する飢えがまだまだ尽きなくて、
一方でコンテンツといものをあまり理解していない。
デザインも環境もアートも都市も建築も全てビジネスという名の下に同義語となっている。
建築や都市は不動産という目線でしか語られない。
多くのスタティスティックや数字と共に次第に膨張していく根拠のない自信。
ここは遅れているのではなく、異なっているということに気づいて不安になる。





